Saturday, March 21, 2020

中国女性監督インディペンデント映画 『女导演』

今回は中国インディペンデント映画について少し書きます。

コロナウイルスで私の教えている大学もオンライン授業に切り替わった。すべてリモートで、娘はサンフランシスコで、夫は日本で働いているし、私の家族は離れて暮らしていて、先日アメリカのトラベルバンはレベル4に上がって、ニューヨークは”Shelter in Place”だし、なんだか不安。こんな時は家族で一緒にいたいよね。でも昨日スーパーに買い物に行ったら、レジのヒスパニック系のおばちゃんや近所の黒人のおじさんたちが普段より優しかった気がした。皆、人寂しいのかな。昨夜は金曜の晩で3月にしては暖かくて、ブルックリンの私が暮らすブロックでは、いつもならフロントヤード(家の前)パーティが数カ所で行われたはず。同じ3−4カ所から音楽は聞こえてたけど、屋内からでドアも閉まってて、心なしか普段より音量が低かった笑。このフッド流の自粛。

家にいる時間が増えて、映画配給団体や制作者が作品を無料配信したり、アドビなども3ヶ月ソフト無料登録などを展開し始めた。中国のインディペンデント・ドキュメンタリー作品を北米に配信しているdGenerate もその一つで、30日間無料配信(クーポンコード:1MONTH)になったので、勢いに乗って(何の勢いじゃ?)のぞいてみることにした。
『女导演』より

『女演 Female Directors』は、2012年の明明(ヤン・ミンミン)監督のデビュー作品。日本では公開されていないけど、題の直訳は「女性監督」。8年前の北京。女友達のミンとユエは大学で映画制作(監督コース)を専攻したが、卒業後仕事はなく、資金もないので、1台のカメラでお互いを撮影し合うことにする。自由奔放でホルモン出っ放しの危なっかしいユエと、一見堅そうなのにキレると怖そうなミン(監督自身)。映画、セックス、恋愛、ライバル意識、北京市民の戸籍、成功、田舎の家族、さまざまなテーマが2人のきわどい会話と視線と若い体と行動の中に現れては消え、若い女の子特有のドラマ性とスピードで2人の関係も微妙に移り変わっていく。北京の街を舞台にしたリアリティTVとドキュメンタリーのミックスが設定で、2人がどこまでお互いに演技または演出しているのか、実はすべてが虚構かもしれないのがおもしろさ。

道端の野菜売りがひしめく中でミンがダンスするシーン(ミン監督は真剣にダンスをずっとやって育ってきたらしい)や、道路の脇で麺を啜るシーンなど、現実の北京の街がそこここに現れる中で物語は展開していく。低予算映画の醍醐味かな。幸運にも若くて可愛いから、北京の戸籍のため、しいては未来の自分の子のために、力のある男に頼る。映画も作りたいし。これって、誰でもやることでしょ?全く違う2人だけどそこは共通で、それが2人がつながっていく中で少しづつ、それぞれに、一緒に、変化していく。
ユエ 『女导演』より
中国映画を世界的に有名にしたのは、文化大革命後に再開した北京電影学院の最初の卒業生でエピックドラマ長編を80年台に多くつくった第五世代の監督たち。赤や黄色を強調した独特の色彩感覚と批判精神で、中国近代史を振り返る名作を多く残した。代表監督は張芸謀(チャン・イーモウ)や陳凱歌(チェン・カイコー)などで、有名な作品には『紅いコーリャン』、さらば、わが愛/覇王別姫』など。この世代のムーブメントは、天安門事件(1989年)で終了とされ、その後世界に散った第五世代監督たちは、今は中国に戻ったりして大御所になっている(チャン・イーモウは2008年北京オリンピックの開会式・閉会式の演出も務めている)。

その後、時代の振り返りよりも変わりゆく今の中国に注目した、賈樟柯ジャ・ジャンクー)や(ロウ・イエ)などのいわゆる第六世代が2000年前後に登場する。彼らの特徴は、低予算で普段の風景を活用したドキュメンタリータッチで、イタリアンネオリアリズモ風に役者と素人を混ぜたりする。テーマは、資本主義に走る中国への批判やグローバリゼーションのせいで都市集中する中国の実態など。都市部で作られる作品が多い。

それと並行して、90年台にはアンダーグラウンドのドキュメンタリー・ムーブメントが生まれた。最初の作品は1990年の呉文光(ウー・ウェングアン)の『最後の夢想家たち(流浪北京)』。中国では故郷とは別の街の居住許可証(それがあれば正規に働けるし、家も借りられる)を取るのは非常に難しいと聞く。北京の居住許可証はアメリカの永住権所得より難しいらしい。この作品では、市民権なく北京に暮らす5人の農村出身の若い芸術家たちが、夢や北京でのサバイバル生活について赤裸々に語る。すべて手持ちのカメラで、狭い家の中で撮られる映像は、時代の息吹が伝わって来る感じにリアル。ドキュメンタリー作家は中国当局から目をつけられやすくて、ウー氏もその後映画制作禁止になったが、アンダーグラウンドで制作を続けた。アメリカでは『江湖』(Jiang Hu: Life on the Road)という1999年作品が図書館に流通しているので見たが、やはり農村出身の若者たちを集めて旅をする見世物の生活を追ったドキュメンタリーで、とてもおもしろかった。今は、ドキュメンタリーのワークショップなどを各地で開催しているようで、私の生徒で台湾からの大学院生も、都市計画が専門で仕事もしていたが、台湾で彼のワークショップを取って開眼し、ドキュメンタリーの道を選んだようだ。ウー氏はローカルテレビで制作もしていると聞いた気がするが、詳しくは知らない。中国のテレビはすべて党の息がかかっていて、中国本土出身の生徒たちは皆「プロパガンダ」TVと呼んでいる。卒業後中国に帰ったら、生きていくためにそれを選ぶしかない、とも言っている。

ヤン・ミンミン監督
ヤン・ミンミンに話を戻すと、彼女たちの属す世代は第六世代の後の“d-generation”(デジタル世代)で、第六世代が開拓した変わりゆく中国のテーマを、さらに等身大に、手軽なデジタル機材を駆使して作品をつくっている。『女演 Female Directors』も、カメラ1台と出演者2名(うち一人は監督)の、43分の超低予算作品。国内の映画祭で成功を収めたのがきっかけで、楊超 (ヤンチャオ)監督(2016『長江 愛の詩』など)に目をかけられ、2018年には初の長編『柔情史 Girls Always Happy』をつくっている。出身は中国戯曲学院で、ここは京劇教育の最高機関らしい。つまり、第五世代までは北京電影学院が中心だったのが、第六世代以降は映画学部が他の学校にも増えて、多様な監督が制作を始めたということだと思う。d-denerationの作品は、ドキュメンタリーとドラマのジャンルを超えるアバンガルドな作品や、検閲で大っぴらに撮影できないことを逆に武器にして家の中や家族から中国を浮き彫りにする作品が多いようだ。そうして制作が民主化され多様化すると、政府の圧力もさらに強まり、中国では見せられないから、西欧や他のアジア諸国の映画祭で見せたり、世界中に散らばる中国系ディアスポラや中国映画に興味を持つ人々に見せる場を作ろうという動きになっている。

そしてこの世代の作品を北米に配給しているのが、前述のdGenerate。今ではかなりの数の作品をオンライン配給していて、アメリカの中国映画研究にはかなりの貢献をしているし、また制作者にとっても作品を世界に見せ、収入を少しでも増やす重要な場になっていると思う。北京のインディペンデント映画祭が数年前には当局の圧力で中止にさせられた話を聞いたし、dGenerateのサイトもシャットダウンされたりしている過去もある。ジャ・ジャンクーの書いた第六世代についての文章を載せたページが以前は見れたのに、今はもう見られなくなっていた。図書館経由でどうにか手に入れ、授業で使うつもりでいる。dGenerateのサイトは別に移って素敵なものになっている。中国政府の手の届かない方法を見つけたのかな。団体の歴史もそこから見られるようだ。ブログサイトをチラリと見たら、オバマの支援で作られたドキュメンタリーの『アメリカン・ファクトリー』への中国人視点からの批評を中国系か中国人のライターが載せていて、読むのが楽しみ。これは、オハイオ州のもとGM(ゼネラルモーターズ、アメリカ人の誇りだった)工場を中国の億万長者が買い、中国人の監督下で現地のアメリカ人が工場で働く姿を追った作品で、Netflixオリジナル)で、日本からも見られる。かなりおもしろかった。監督はベテランのアメリカ白人カップルで、特に女性の方のジュリア・ライカートは、アメリカ第2派フェミニズム伝説的作品の『Growing Up Female』(1970年)の監督としても有名。

また話がずれて、失礼。中国映画の第六世代も新ドキュメンタリームーブメントも、名が知られているのは男性監督が多いのだが(いつものことだが)、女性監督がいなかったわけではもちろんない。dGenerateのような配給ルートがあるからこそ、ヤン・ミンミンも含め、女性監督も頑張っているのを知れて嬉しい。ヤン・ミンミン監督の次作の『Girls Always Happy』もこのサイトで見られる。30日無料の間に、他の女性監督の作品も開拓する予定。ずっと見たかったが見れていない2005年のLiu Jiayin(当時23歳)の作品『Oxhide(牛皮)』(2005年、ベルリン映画祭・香港映画祭・バンクーバー映画祭で受賞)が見られるか調べたら、dGenerate YouTubeチャンネルに予告編はあるけど本編は配給されていなかった。でもその続き?の2012年作品『Oxhide2』はある!探してみたら、『Oxhide』はNYUライブラリを通してAlexander Street という教育関係のオンライン配給会社で今は見られるようだ。つまり、米国などの配給会社がピックアップするまでのご紹介サイトとしての映画祭的役割も持っているのだと思う。なるほど〜。『Oxhide』、日本では未公開なのかな?日本語でざっと検索しても見つからなかった。

UPAFでは、日本に流通しにくいマイノリティ監督の作品やニュースに出てこない国々や人々の生き様を知れる作品を中心にプログラムしてきた。UPAFdGenerateみたいな配給ルートになれたらいいな。


Saturday, March 14, 2020

おすすめ新作ブラジル映画『Bacurau』

今回はカンヌ受賞作の新しいブラジル映画『Bacurau』をご紹介します。

昨日、めちゃくちゃいい作品を見ました。ブルックリンのBrooklyn Academy of Music (BAM)という、オペラや舞台上演や映画上映をする立派な老舗のアートベニュー。作品名(ポルトガル語)はBacurau(バクラウ)、日本語の意味はなんと、よだか!そう、あの宮沢賢治の「よだかの星」のよだかです。それだけでも、日本人の心にグッときちゃいます。小学校4年生のクラスの文化祭で劇もやり、私は星2か星3か星4の役だったと思います(笑)。ブラジルの2019年のインディードラマ作品で、監督は Kleber Mendonça Filho(クレベール・メンドンサ・フィリオ)と Juliano Dornelles(ジュリアノ・ドネルス)。カンヌの審査員賞(パルムドールは「パラサイト」が受賞)をとった作品です。日本にも来そうな気がするので、シェアします。
Bacurau, borrowed from www.simbasible.com


舞台はブラジル北東の架空の小村バクラウ。IMDbの短いあらすじをざっと訳すと、「近未来のブラジルで、テレサは 村の長老だった祖母の葬式に参列するため、生まれ故郷の村に帰ってくる。そこで沸き起こる一連の不吉な事件に、住民達が立ち上がる。」これではよさが伝わらないのだけれど、まずは近未来性。映画の最初の頃に出てくるテロップで、舞台は数年後のブラジルであることがわかる。そう、数年後。バクラウの住民は、先住民とポルトガル人とアフリカから連れてこられた奴隷の血が入り混じった、本当に色とりどりの人たち。肌の色も髪の色やキンキーさも、その雑多感は見事で魅力的。褐色でアフロヘアのテレサは科学者、白い肌で直毛の老女医は亡くなった祖母の友人、カウボーイみたいなギター弾きもいれば、小さなバーを経営する母と息子もいるし、ギャングの総長っぽいお尋ね者の殺人鬼もいる。村外れにある売春小屋の娼婦やトランスの一座も、必要なサービスを提供する労働者として村の面々の雑多感にすっぽり溶け込んでいる。心なしかサチュレイトされた映像は、肌が生々しく匂ってくる様な質感で、しかも西部劇とサイエンスフィクションの混じった何とも言えない雰囲気を漂わす演出が実にうまい。ネタバレを避けたいのであまり言えないけれど、その村の面々と全く対照的に描かれるもう一つのグループがいて、そいつらの多くは世界中の視聴者になじみのある顔をして、馴染みのある言語をしゃべっているのだが、この作品の中ではそれが異様に見え異様に聞こえるようにうまく描かれている。この一団が悪者で、村に不吉な事件を巻き起こす。もう一人登場するのが、州知事か市長か忘れてしまったけど、土地の有力者で政治家。ダムを止め、村に水が来ないようにした張本人で、村人たちに憎まれているブラジル人。つまり、これから数年後のブラジルという近未来の設定で、人種差別・自然資源の悪用・少数部族の虐殺など、現実のブラジルが抱えてきたネオコロニアルの状況を、見事に描いている。

サードシネマ*の授業とその準備を通じて、ブラジル映画をけっこう見てきたが、その幅の広さとイマジネーションの大きさには脱帽する。CIAの力添えでクーデターを起こした軍事独裁政権下の6070年代に作られた傑作の多くが、検閲を逃れるために、宣教師がやってきた16世記の人食い先住民(フランス人を食べちゃう)の村を描いたり、ヨーロッパからの植民者に尽くした“模範的”な先住民女性の民話になぞらえたりして、当時の政権を批判している。この作品も、近未来フィクションの設定を通じて、(ある種のクーデターを起こして)昨年1月から大統領に就任しているボルソナロ(女性・LGBTQIA+・先住民・黒人差別者で、西側諸国の石油会社や木材会社を優遇する資源開発推進派と言われている)と、オリガーキーと呼ばれる国の政治と資源を牛耳る少数の富裕層、そしてそこから利を得ようとする西側の白人を批判しているのは明らか。しかも、この小村の雑多で色とりどりな労働者層の人々こそが追い詰められる本当のブラジルで、これまで同じように追い詰められ人知れず虐殺されてきたであろうブラジル先住民への共鳴も表現していると、私には見えた。そして人物像や映像に、過去の映画へのトリビュートも見られた気がする。テレサを乗せた水タンクのトラックが街道を爆走するシーンは『イラセマ(Iracema, Uma Transa Amazonica』を彷彿とさせたし、オープニングの夜の街明かりのシーンではパトリシオ・グズマンの『光のノルタルジア』(これはチリ人のドキュメンタリー作品)&のエンディングを思い出した。お尋ね者殺人鬼のLungaも、きっと他の映画にモデルがいるはず。テレサのお相手役の男性は、たぶん関係ないけれど、『サラームボンベイ』のババ役にそっくりだ。そんなことには全くお構いなく、ただの映画としてもストーリーも作りも痛快で娯楽性もバッチリあるのだが、今のブラジルの現状を考えながら見られたら、きっとさらに感銘を受けるのでは、と思いマス。

*サードシネマとは、革命のラテンアメリカで60−70年代に沸き起こった映画のムーブメントかつ理論で、ハリウッドをファーストシネマ、ヨーロッパのアート映画をセカンドシネマと捉え、その2つに対抗しながら別の形で存在しうる映画のあり方を模索したもの。80ー90年代にUCLAでマイノリティに自己表現としての映画制作を教えていたエチオピア人の教授Teshome Gabrielにより理論として復活され、米英の黒人監督やアジア系監督にも大きな影響を与えた。

YouTubeチャンネル+日本短編部門公募開始

UPAFこと宇野港芸術映画座、今年10周年を迎えます。それを記念して?今回から日本映画短編特集を公募で始めることになりました。応募要項とエントリーフォーム、スタッフの柳川みよちゃんが作ってくれました。長さが30分以内の短編で、UPAFのテーマ「生きる、創る、映画」に合っていて、日本や日本人が主に登場する、または日本で制作された、または日本に関する作品なら、製作年やジャンルは問いません。ご応募お待ちしています。これから公募サイトにも載せるつもり。日本で映画制作している皆さんは、どこでこういう公募情報をゲットしているんだろう。情報あったらお知らせください。

それと、やっぱり10周年を記念して?UPAFチャンネルも開設しました。まずはこれまでのUPAFの軌跡を裏話を混ぜながらたどって、そのあとは今後UPAFで上映できたらな、という映画や、おすすめの映画などについてお話ししていく予定です。最初のうちはスタッフのたっちゃんと西やんが主に出演、他のスタッフもゲストで参加です。共同主宰で私の相棒マックスが編集してくれています。第1回が上のリンクで、第2回第3回まで上がってます!皆さま、チャンネル登録(Subscribe)と通知オン、よろしくお願いしま〜す。

今は世界中コロナウイルスで本当に大変。私が教えるニューヨーク市立大もすべてオンライン授業に今週から切り替わるので、準備に追われています。うまくできるのかな。それもまたご報告しますね。イタリアや中国、イランからの生徒や元生徒もいるので、みんな安全に健康に過ごしていて欲しいです。

UPAFを始めたきっかけ

2010年から、岡山県玉野市の宇野港で、宇野港芸術映画座(Uno Port Art Films、通称UPAFウパフ)という夏の手作り映画祭を、夫で相棒の上杉幸三マックスと共同主宰している。2016年まではほぼ毎年、その後は疲れすぎるので(笑)2年に1回に切り替えた。ニューヨークのブルックリンに住んで28年、いろいろな仕事を経て、過去10年くらいは、ニューヨーク市立大ハンターカレッジの大学院(MFA in Integrated Media Arts)とニューヨーク大学の学部(School for Professional Studies)でドキュメンタリー史やら中南米・アフリカ・アジアの映画などを非常勤で教えながら、それだけでは食べられないので、翻訳や通訳の仕事をして生きている。自分たちで映画の自主制作も細々だけれど続けている。

UPAFを始めたきっかけは、夫婦2人の間で少し違うみたいというのに後から気づいた。私の理由は、26年来の相棒のマックスが故郷の宇野で宿泊業を始めたので、その街と彼の新しいアドベンチャーを盛り上げたい気持ち、それと、私は長年ニューヨークという世界中からの映画が見られる街に幸運にも住んでいるので、自分がとてもいいと思った作品で日本に届きにくいものを自力でお届けしようという気持ち、その2つかな。地価の高いこの街に一世移民として住み続けるのは決して楽ではないけれど、私は今でも多様な人が混在するこの街が大好き。そして私が今この瞬間にここにいるのは、育ててくれ教育をくれた両親も含め、いろいろな人のサポートがあってのことなので、それに感謝しつつ、何かお返しができれば、と。敬愛する先輩がいつか言った言葉があって、彼が私を支援してくれるのにお礼のしようがないと言ったら、サポートが必要な他の人に何かしてあげてください、と言われた。その言葉をいつも念頭に生きています。

このブログは、もっと前に始めるべきだったのだけど、思い立ったが吉日で始めます。中学生時代以来ずっとUPAFを手伝ってくれている娘も昨年大学を卒業して独り立ちしたので、私も今後はやいたいことをどんどんやっていかないと。私がニューヨークですてきな映画や人に出会ったりして思うつれづれを、シェアできたらと思っています。

先日は東北大震災から9周年でした。そして今は、日本もアメリカも世界も、コロナウイルスで不安が募る毎日です。いろいろなことが解決しないままに、でも皆一生懸命生きていくより他ありません。皆さま心穏やかに、つながりつつ、一緒に乗り越えて、夏にはまた、いい作品を一緒に観てお話できる日を楽しみにしています。

ブルックリン奥地での自粛生活のつれづれ

少し時間が経った間に、日本も全国で緊急事態宣言になってしまった。8月の10周年記念UPAF、開催できるかな。人間、希望が必要なので、日本にいるマックスとのほぼ毎日のLINE会話では、今のところはやる方向で進めようということになっている。 今日は映画とは関係ない話になると思う。...