Saturday, March 14, 2020

UPAFを始めたきっかけ

2010年から、岡山県玉野市の宇野港で、宇野港芸術映画座(Uno Port Art Films、通称UPAFウパフ)という夏の手作り映画祭を、夫で相棒の上杉幸三マックスと共同主宰している。2016年まではほぼ毎年、その後は疲れすぎるので(笑)2年に1回に切り替えた。ニューヨークのブルックリンに住んで28年、いろいろな仕事を経て、過去10年くらいは、ニューヨーク市立大ハンターカレッジの大学院(MFA in Integrated Media Arts)とニューヨーク大学の学部(School for Professional Studies)でドキュメンタリー史やら中南米・アフリカ・アジアの映画などを非常勤で教えながら、それだけでは食べられないので、翻訳や通訳の仕事をして生きている。自分たちで映画の自主制作も細々だけれど続けている。

UPAFを始めたきっかけは、夫婦2人の間で少し違うみたいというのに後から気づいた。私の理由は、26年来の相棒のマックスが故郷の宇野で宿泊業を始めたので、その街と彼の新しいアドベンチャーを盛り上げたい気持ち、それと、私は長年ニューヨークという世界中からの映画が見られる街に幸運にも住んでいるので、自分がとてもいいと思った作品で日本に届きにくいものを自力でお届けしようという気持ち、その2つかな。地価の高いこの街に一世移民として住み続けるのは決して楽ではないけれど、私は今でも多様な人が混在するこの街が大好き。そして私が今この瞬間にここにいるのは、育ててくれ教育をくれた両親も含め、いろいろな人のサポートがあってのことなので、それに感謝しつつ、何かお返しができれば、と。敬愛する先輩がいつか言った言葉があって、彼が私を支援してくれるのにお礼のしようがないと言ったら、サポートが必要な他の人に何かしてあげてください、と言われた。その言葉をいつも念頭に生きています。

このブログは、もっと前に始めるべきだったのだけど、思い立ったが吉日で始めます。中学生時代以来ずっとUPAFを手伝ってくれている娘も昨年大学を卒業して独り立ちしたので、私も今後はやいたいことをどんどんやっていかないと。私がニューヨークですてきな映画や人に出会ったりして思うつれづれを、シェアできたらと思っています。

先日は東北大震災から9周年でした。そして今は、日本もアメリカも世界も、コロナウイルスで不安が募る毎日です。いろいろなことが解決しないままに、でも皆一生懸命生きていくより他ありません。皆さま心穏やかに、つながりつつ、一緒に乗り越えて、夏にはまた、いい作品を一緒に観てお話できる日を楽しみにしています。

1 comment:

ブルックリン奥地での自粛生活のつれづれ

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